野口整体に影響を与えた、操体法の源流、整体のルーツ高橋迪雄の正体術

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プロフィール

神崎写真

神﨑 崇嘉( かんざき たかよし )
株式会社カンザキュー 代表取締役
正体術倶楽部主宰
神﨑正体術創始者
正体術指導家
薬剤師
鍼灸師

高校生時代に大学病院でもお手上げだった10か月間も続いた原因不明の頭痛を
週1回の鍼治療と毎日の自己療法によって1か月で完治できた経験から代替療法に興味をもちました。
兄が薬学部に進学していた影響で薬学部に進みましたが、
ヨーガを独習し、当時、日本に帰国されたばかりのDC加瀬健三先生の著書を読み
カイロプラクティックにあこがれ、20歳の誕生日にはヨガ道場で断食していたと言う
少し変わった薬学生でした。

大学卒業後、漢方専門薬局に勤務する中、現代医学では救われない多く方々の行先として
漢方薬局のような東洋医学による治療が大きな助けとなったいることをあらためて実感しました。

薬剤師にはなりましたが、一方では、手技療術や温熱療法などを習得し
その施術を行っていく中、せっかく施術を行っても次回お見えになられた際、元の黙阿弥になっていることが多く、
こんなことをいくら繰り返していても何の解決にもならない!そう思い立ち
整体をはじめとする日本の療術の根幹を知るため、幻と言われた整体のルーツである
大正時代に興った高橋迪雄師の正体術の研究を始めました。

そして、その難解さのために失伝したとも言われる正体術を
誰もが簡単に矯正法を設計できるまでに体系づけることができました。

現在、一般向けにも門戸を開いた唯一の実践的正体術を指導する正体術倶楽部主宰。

最初は、ミクシィのコミュ「整体のルーツ 高橋迪雄の正体術」を2006年11月に開設し
正体術をはじめ様々な療術についての情報を発信し、2008年10月からブログ等のみで
セミナーを告知して受講者を募集しはじめました。

こうした療術の技術を伝えるために2008年11月に株式会社カンザキューを設立。

その講座の受講者から手技療法を教えてほしい、温熱療法を教えてほしいとの声にお応えして
次第に講座の数を増やしていきました。

その内容が、すでに門戸を閉ざされた手技療法であったり、
他流派では、半年から1年間かけて数十万円から百万円を超える費用で学ぶ内容を
1日から3日間といった超短期間で指導してしまうために「黒船」との呼び声もあります。

最初は、受講者の方々の復習用に制作しようと考えた講習内容の映像教材を受講できない方々に販売し、
購入後に実際に効果をあげることができたと言う声も多くいただいています。

「療術界の虎の穴」とも呼ばれる秘密のコース「療術道場」は、
さらに高度な正体術矯正法、手技療法、温熱療法と言う3つの手法を12日間でマスターできる上、
その効果の高さから受講された方々からは、これ以上、受講者を増やさないでほしい、封印して欲しいとまで言われています。
しかも受講された方の多くはライバルを増やさないためにこの講座の受講されたことを秘密にされています。

■ 経歴

小学生時代

海や川で魚やカニを採り、野や山を駆けって遊ぶ自然児でしたが、商店街の中では、若くてキレイな女性店員さんを
話で笑わせるのが好きで私が訪問すると「漫才師が来た~(笑)」といつも言われてました。好きなTV番組は「笑点」でした。
学校では、ほとんどの学年で学級委員でしたが、男ばかりの3人兄弟のためか学校では、週に1回は誰かと殴り合いのケンカをしている
そんな困った少年でしたが、当時は、こうしたことが特別でないおおらかな時代でした。
子供とはいえ、当時の商家にとっては労働力として数に入っていたため配達やレジ打ち、ラベル貼りや棚おろしなどを行っていました。

中学生時代 

チューリップの「心の旅」をラジオで聴いて衝撃を受け、ギターを弾きはじめました。
歌声が、チューリップの財津和夫さんに似ていると言われたことがあります。
一応、どの学年も学級委員でした。さすがに中学ともなると少しおとなしくなり、
学校での殴り合いのケンカは1年に1回と激減しました。

高校生時代

1年生の秋にハンドボール部員が、その練習の厳しさから大量に退部したため試合にも出られなくなってしまった
と聞き、1年生の各クラスを「僕も入部するから誰か他に入部して、試合に出られるようにしてやってほしい」と回り、
部員を3名集めることができました。しかし、この後、原因不明の頭痛が私を襲ったのです。

週に2、3度起きる頭痛のため、地元の市民病院の整形外科を受診すると異常なしと言うことで
頓服として鎮痛剤をもらっただけでした。

しかし、その後も全く治る気配がなく大学病院に行き呼ばれて診察室に入ってみるとなんとそこには・・・
前回、市民病院で診ていただきた整形外科医が座っていたのでした。

「君~、どこに行っても同じよ~
 まあ、もうちょっと精密な検査をやってみようか」

そう言って、精密な検査を行った結果は、・・・「異常なし」
頓服として鎮痛剤をもらって帰りました。

通っている高校の近くに良い鍼灸師の先生がいると聞いて
受診すると

「これは、冷たい物の食べ過ぎ、飲み過ぎで胃が弱り、肩から首の筋肉が緊張して頭痛が起こっているので
冷たい物を飲んだり食べたりしないようにして、薬局に行って細い試験管を買ってその中に氷を入れ
それを毎日1回、肩と首のツボに一瞬ヒヤッとするまでの間だけ当てなさい。」

その後、1週間に1回、ハリ治療を受けながら
毎日、この自己療法を欠かさずに行い、冷たい物を採らなかったら
なんと、1か月間で完治したのでした。

この現代医学で治らなかった症状が、東洋医学と自己療法で完治した経験は、
その後の私に大きな影響を与えた出来事となりました。

ハンドボール部は、この後、ドイツへの留学者を出すなどたいへんな躍進をしていきました。
私のポジションは、ゴールキーパーでした。

20歳代

薬学部に入学した大学時代からヨーガを独習し、断食したりしていました。
1度断食中に下宿の土間で貧血のために少し寝てましたら「大丈夫ですか?」と声をかけられたことがありました。

代替療法の真逆の存在である医薬を職業とすることに抵抗がありましたが、何とかもがきながら生きて行きました。

漢方薬局、調剤薬局、医薬品メーカーの品質管理、総合病院の薬剤師と職を転々としながらも
代替療法への憧れはけっして衰えることがなかったのでした。

30歳代

総合病院勤務時代に知り合った女性と結婚し2人目の子供が生まれた際、
共働きから病院勤めの安月給の私一人の収入になったため、家計が毎月5万円の赤字になりました。

これではいけないと思い、もっと収入の良い仕事に転職するため様々な会社に応募いたしました。
そして医療用具の輸入商社の一般職として応募し、27人の中からの1人に選ばれることができました。

履歴書に志望動機に「御社の高待遇と将来性」と書いたこところ面接時に社長から

「君、こんなこと書いてるけど、ウチの会社のことなんて何も知らないでしょう?」と聞かれ

「はい。ほんの社交辞令で書きました。」と素直に答えたところ入社できました。

そこで数年間、平穏に暮らしていたある日のこと、
なんと脳腫瘍の手術後の実母が薬局において調剤過誤にあったのでした。

医療行為と言え、人間が行うことですから
調剤過誤は、いつ誰に起こっても不思議ではないことですが、
調剤をした薬剤師と電話で話しましたが、あまり調剤について知らない上に
実母が飲んでいるその薬がどのくらい危険な薬かと言うことさえ知らない薬局経営者でした。

これは、いけないと思い、自身を他社に手紙を書いて売り込んみ転職し、薬局事業をその会社で立ち上げました。

40歳代

それからは、薬局での仕事をしながら療術や代替療法を学びながら実践していきました。
そして、40歳代半ばにして薬局に勤務しながら夜学の鍼灸学校に通い
10代からの夢でした鍼灸師の資格を得ることができました。

50歳代

正体術をはじめ療術や代替療法を指導するために
株式会社カンザキューを設立し、鍼灸師、柔道整復師、指圧師、マッサージ師、理学療法師、
整体師、タイ式マッサージのプロの方々、そして一般の方々にまでセミナーや教材によって
その技術を伝え、高い評価をいただいております。

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